
24時間テレビのチャリティーマラソンは、1992年から続いている人気の企画です。
毎年、芸能人が体力の限界に挑みながらゴールを目指す姿に、心を動かされる方も多いのではないでしょうか。
これまでには、間寛平さんやイモトアヤコさん、城島茂さん、みやぞんさんなど、豪華なメンバーがランナーを務めてきました。
では、それぞれのランナーはどの年に、どれくらいの距離を走ったのでしょうか?
今回は、そんな歴代ランナーと走行距離を一覧でまとめて、記憶に残る挑戦の数々を一緒に振り返っていきますね。
24時間テレビ・チャリティーマラソンって?
1992年から始まった感動の企画
24時間テレビのチャリティーマラソンが始まったのは、1992年の第15回放送からでした。この企画が生まれた背景には、それまでのドキュメンタリーやドラマ中心の構成では視聴率が伸び悩んでいたことがありました。
そこで番組の方向性を見直し、もっとエンタメ性を取り入れた、楽しく見られる内容にシフトチェンジすることになりました。
そのきっかけを作ったのは、当時企画を担当していた放送作家でした。
「視聴者が見ながらワクワクしたり、感動したり、応援したくなるような企画を届けたい」そんな思いからスタートしたのが、チャリティーマラソンだったそうです。
次の章では、これまでの歴代ランナーと走った距離についてご紹介していきますね!
歴代ランナーと走行距離一覧(1992〜2024)
最初のランナーを務めたのは、タレントの間寛平さんです。
当時は、事前にスタートからゴールまでのルートを公開していたのですが、寛平さんをひと目見ようと多くの人が集まりました。
中には、自転車や車で追いかける人までいて、交通にも影響が出てしまうハプニングが発生してしまいました。その影響で、やむを得ず途中でリタイアとなってしまいました。
翌年からはランナーの安全を守るため、通過する経由地などの情報は非公開に。その結果、次の年には寛平さんが200kmを走り切り、無事にリベンジを果たしました。
ここからは、歴代のランナーとその年の走行距離をまとめてご紹介します!
1992年~2000年のランナー
- 1992年(第15回) 間寛平 153km
- 1993年(第16回) 間寛平 200km
- 1994年(第17回) ダチョウ倶楽部 100km
- 1995年(第18回) 間寛平 600km(歴代最長)
- 1996年(第19回) 赤井英和 100km
- 1997年(第20回) TOKIO 山口達也 100km
- 1998年(第21回) 森田剛 100km
- 1999年(第22回) にしきのあきら 110km
- 2000年(第23回) トミーズ雅 150km
2001年~2010年のランナー
- 2001年 研ナオコ 85km
- 2002年 西村知美 100km
- 2003年 山田花子 110km
- 2004年 杉田かおる 88km
- 2005年 丸山和也 100km
- 2006年 アンガールズ 100km
- 2007年 萩本欽一 70km
- 2008年 エド・はるみ 113km
- 2009年 イモトアヤコ 126.585km(女性最長)
- 2010年 はるな愛 85km
2011年~2020年のランナー
- 2011年 徳光和夫 63.2km
- 2012年 佐々木健介ファミリー 120km(駅伝)
- 2013年 大島美幸(森三中) 88km
- 2014年 城島茂(TOKIO) 101km
- 2015年 DAIGO 100km
- 2016年 林家たい平 100.5km
- 2017年 ブルゾンちえみ 90km
- 2018年 みやぞん 161.95km(トライアスロン形式)
- 2019年 水卜麻美・いとうあさこ他 148.78km(駅伝)
- 2020年 高橋尚子チーム 236km(募金ラン形式)
2021年~2024年のランナー
- 2021年 城島茂ほか 101km(全員合計)
- 2022年 兼近大樹(EXIT) 100km
- 2023年 ヒロミ 102.3km
- 2024年 やす子 81km
最長距離と女性最長記録は?
歴代最長記録は間寛平の600km
これまでのチャリティーマラソンの中で、最も長い距離を走ったのは、1995年に挑戦した間寛平さんです。
その距離はなんと600km!
本州の端からほぼ半分を、自分の足で走り抜いたという、とても壮大なチャレンジでした。
間寛平さんはその年の1月に阪神・淡路大震災で宝塚市にあった自宅を失いました。そんな状況の中で、復興を願い、被災地に元気を届けたいという思いから、一週間かけて600kmを走り切りました。
寛平さんの優しさと強さが、多くの人の心に届いた年だったのではないでしょうか。
女性ランナー最長記録はイモトアヤコ
そして、女性ランナーの最長記録を持っているのは、2009年に挑戦したイモトアヤコさんです。
その距離は126.585km!
時間内にゴールすることはできなかったものの、「世界の果てまでイッテQ!」で見せていた運動神経の良さはこのマラソンでも健在でした。番組が終了しそうになりながらも、最後まであきらめないイモトさんの姿に、元気をもらった方も多かったと思います。
駅伝方式・複数人リレーでつないだ年も
近年では、ランナーの体への負担を考慮して、一人で走るのではなく、複数人でタスキをつなぐ「駅伝形式」が採用されることもあります。
例えば、2012年は佐々木健介さん&北斗晶さんファミリーがリレー方式で挑戦し、120㎞を完走しています。小さな体で一生懸命走る2人の子供たちの姿に心を打たれた方も多いのではないでしょうか。最後は家族全員でゴールを迎え、感動の涙を誘いました。
また、2019年は、ハリセンボンの近藤春奈さんやガンバレルーヤのよしこさん、そしていとうあさこさんなど複数の女性芸人がチームを組んでチャレンジ。それぞれが自分の区間をしっかり走りぬき、笑顔と感動を届けてくれました。
チャリティーランナーに選ばれる傾向とは?
チャリティーマラソンのランナーには、いくつか共通する特徴があります。
体力や根性のある芸能人
ひとつは、体力や根性に自信のある芸能人であること。
チャリティーマラソンでは、100kmを超える距離を走ることも少なくありません。
しかも、毎年開催されるのは8月の終わりの残暑が厳しく、体力的にかなり過酷な時期です。
そのため、もともとマラソンやスポーツの経験がある人が選ばれる傾向があります。
たとえば、間寛平さんは趣味でトライアスロンをされていて、長距離にも慣れていました。2005年に走った丸山和也さんも、日ごろからマラソンを楽しんでいたそうです。
視聴者に感動を届けられる人
そしてもうひとつ、大切なポイントがあります。
それは、視聴者に共感や感動を届けられる人物であること。
2024年にランナーを務めたやす子さんは、自身が中学・高校時代に過ごした児童養護施設の現状を知ってもらいたいという強い思いを持っていました。
その思いをスタッフに何度も伝え、「いつか走りたい」と自ら立候補していたそうです。
こうしたランナーたちの「走る理由」が、私たちの心を打ち、番組を見ている人に勇気を与えてくれるのだと思います。
チャリティーマラソンは、ただの体力勝負ではありません。
それぞれのランナーが背負うストーリーや、走ることに込めた想いが、長年にわたってこの企画が多くの人に愛され続けている理由なのではないでしょうか。
まとめ
24時間テレビのチャリティーマラソンには、それぞれのランナーが背負ってきたストーリーがあります。
長距離を走る体力ももちろん必要ですが、それ以上に「誰かのために走る」という強い想いこそが、この企画の原動力ではないでしょうか。
2025年はSUPER EIGHTの横山裕さんがランナーに決定しています。
彼がどんな挑戦を見せてくれるのか、これからの放送にも注目が集まりますね。

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